菊の里地区Map
 
 
菊の里連合町内会設立までの経緯 菊の里連合町内会設立10周年の歩み
年  月 内  容  等 年  月      
昭和62年7月 区長懇談会において北白石連町を分割し、新連町創立を要望。 平成10年4月  北白石連合町内会から、菊水元町南・菊水元町白菊・米里及び
昭和63年7月 区長懇談会において新連町創立に伴う連絡所の設立を要望。  東米里の4単位町内会が分離し、「菊の里連合町内会」を創設した。
昭和63年10月 関係町内会において新連町創立の本格的協議を開始。  併せて「菊の里連絡所」を創設した。
 (現:菊の里まちづくりセンター)開所
平成6年3月 区長に対し4単町(菊水元町南・同白菊・米里・東米里)が北白石連町
から分離し、新連町設立と連絡所設立を要望する。
平成11年5月 「東米里ゆめ広場」オープ。
平成7年11月 仮称、「米菊連合町内会」設立準備会を発足。 11月 「東米里小中学校が開校50周年を迎える
平成8年1月 設立準備会において、連絡所設置場所を白菊会館に決定。 平成12年2月 「菊水元町地区センター」オープン。
平成8年1月 白菊会館運営委員会と協議の結果、地区会館の転用を了解。 平成13年5月 「東米里福祉会館」新設
4月 北白石連町内総会で、10年4月の4単町分離が承認された。 平成14年11月 「白石清掃工場」移転新築・運転開始。
5月 区長、市民局長に対して、連絡所の位置と開設を要望。 平成16年8月  菊の里連合町内会主催で、「第90回白石区ふるさとまつり」開催。
2月 準備会において、新連町の名称を菊の里(公募)にて決定。 9月 「米里会館」新設。
平成9年7月 市長に対して、新連絡所の名所を「菊の里」としたい旨要望。 平成17年4月 「菊の里まちづりネットワーク協議会」発足。
「東部水再生プラザ」新設・運転開始。
平成18年9月 「白菊会館」が市の耐震構造診断の結果、閉館。
平成19年4月 「菊水元町町内会」、が当連町に編入(5単位町内会となる)
9月 「東部スラッジセンター」新設・運転開始。
平成20年4月 「菊の里連合町内会」創立10周年を迎える。
10月  白菊会館の竣工祝い及び菊の里連合町内会の
 創立10周年記念式典を開催しました。
菊の里地区は白石区の西北に位置し、米里、東米里、菊水元町の一部からなる菊の里地区は、巨大化した北白石地区の分割により平成10年に誕生しました。かつて、現在の菊水元町3条1丁目から厚別川までの地域は、赤井川地区と呼ばれていましたが、地区の水田耕作の先駆者である本田春蔵、藤森徳太が明治26年、米の取れる里として「米里」と命名しました。その一部が現在の東米里ですが、東米里が地域の名前として呼ばれるようになったのは、白石村が札幌市と合併した昭和25年以降のことです。
この地区は、面積が8.21平方キロメートルと白石区の23.7パーセントを占める広大な地域の中に、約4,400世帯という、比較的小規模な人口の構成となっています。これは、東米里地区や米里地区に代表される札幌市の農業生産地を抱え、市街化区域と市街化調整区域が並存していることが要因となっています札幌インターチェンジの出入口として地域を縦断する交通の大動脈である南7条米里通を中心としながら、一歩中に入ると静かでとても住みよい街並みが続いています。
一方、まちづくりの面では、平成16年10月に地域の方々の手によって「菊の里まちづくりネットワーク」が立ち上げられました。